#142 フォトグラファー 村尾 昌美

防雨、防塵、耐衝撃で大切なデータを守る心配性の私のためのHDDです

第142回目の@Professional Usersはフォトグラファーの村尾 昌美(むらお まさみ)さん。若干25歳で「写真家の肖像」という有名写真家たちを撮影した写真展を開き、大きくメディアに取り上げられ世間を驚かせます。その華々しいデビューから現在まで、常に第一線で活躍する女性フォトグラファーとして様々な作品を精力的に撮り続けています。最近では「ヒーリングフォトグラファー」として世界のパワースポットを巡り、力のある美しい写真を届けてくれています。そんな村尾さんはバッファローのハードディスクに絶大なる信頼を寄せていて、最近ではバッファローのポータブルハードディスク、HD-PZN1.0U3-Rをクリエイティブに導入したとのこと。早速LAVAが東京、阿佐ヶ谷にある村尾さんのスタジオを訪れお話を伺いました。

プロクリエイターが選んだ商品

ICカードロック解除対応MILスペック 耐衝撃ボディー防雨防塵ポータブルHDD

Creator's Profile

村尾 昌美(むらお まさみ)

日本大学芸術学部で写真を専攻し、卒業後秋田好恵に師事。'91年に渡米し、ファッションを中心にに活動。’93年に帰国。現在、各界の著名人のポートレート、舞台女優、俳優などを中心に写真を撮り続けている。また世界各国の自然風景に呼び寄せられ撮影、ヒーリングフォト作品を制作する。2009年国展新人賞受賞。2010年浅田真央公式写真集「MAO」等、女優、俳優の写真集を多数出版。
2015年作品集「PICTURES」を日本カメラ社から出版。

個展・グループ展

『写真家の肖像』 林忠彦,秋山庄太郎 他21名 1990年 京セラコンタックスサロン銀座/京都

『夢のまた夢』 1991年 ハイパークリスタルギャラリー青山

『女女女』 女性ヌード三人展 1995年 京セラコンタックスギャラリー銀座

『Hands』 手をモチーフにした作品展パリにて開催 1996年 ギャラリーレジーヌリュサン

『女優とタンゴ展』 女優大浦みずきを撮影 2001年 カフェドュジェノワーズ表参道

『生きている小平次』 舞台とコラボ展 2004年 時事通信ホール

『G-BODY』 舞踏家 舘形比呂一を撮影 写真集出版 2006年 コダックフォトサロン銀座

『アクリル』 作家室井祐月とのコラボ展 書籍出版 2007年 ギャラリー80 表参道

『KOM KEEP IN TOUCH』 女優朝海ひかる 2008年 元町アートギャラリー 2009年 オリンパスギャラリー東京/大阪

『フォトセッション tategatak×moulin』 舘形比呂一を撮影 2012年 the MIDTOKYO gallery 六本木

『吉野圭吾~if KEIGO could fly~』 俳優吉野圭吾を撮影 2013年 the MIDTOKYO gallery 六本木

『ムーランのヒーリングアート展』 2013年 恵比寿三越デパート

『江原啓之×村尾昌美コラボ展』 2013年 原宿サンクチュアリ

『水夏希"colours"』 女優水夏希を撮影 2014年 the MIDTOKYO gallery 六本木

『PICTURES』50人のアーティストを撮影 2015~2016年 キヤノンギャラリー東京・札幌・仙台・梅田

出版

『メリーゴーランド』 写真:村尾昌美 文:室井祐月 文藝春秋

『G-BODY』 舞踏家舘形比呂一写真集 コンボイハウス

『KOM KEEP IN TOUCH』 女優朝海ひかる写真集 日本文芸社

『BORN』 俳優吉野圭吾写真集 ジャンクション

『歌の贈り物』 女優春野寿美礼写真集 朝日新聞出版

『スピリチュアル・パワーブック』 江原啓之著 写真:村尾昌美 中央公論新社

『ことたまオーラカード』 江原啓之 写真:村尾昌美 マガジンハウス

『PICTURES』村尾昌美のポートレートの世界 日本カメラ社

講師歴

村尾スタジオ主催フォトサロン

オリンパスデジタルカレッジ フォトルージュ講師

キャノンフォトサークル講師

Interview

CAになろうと思ってました。でも体力測定で血圧が低すぎて入れなかった(笑)

——久しぶりに女性フォトグラファーの登場です。村尾昌美さんです。まずは村尾さんがフォトグラファーになっていった経緯を教えてください。

初めてカメラを手にしたのは小学校2年生の時、父からの誕生日プレゼントでした。ハーフサイズのフィルムで撮るおもちゃのようなカメラでした。私はたちまち夢中になり、時間もあるし面白くてじゃんじゃん撮っては近所のカメラ店でプリントしてもらっていたんです。

——それは楽しそうな日々ですね。今みたいに気軽に写真が撮れる時代ではなかったですしね。それからは?

通っていた女子校からエスカレーター式で短大に行けたんですが、ずっと同じ学生同士でいるのはつまらないと思い、4年制の共学に行こうと決めてその中の選択肢にあったのが日芸の写真科でした。子供の頃のカメラ大好き時代を思い出していたんですね。そして日芸に通うことになったんです。

——そのエスカレーターを降りた新たな学生生活はいかがでしたか?

まわりの学生たちがあまりに暗くてショックでした(笑)。それに地方から出てきている人たちも多く、その大半がシャイな人。「プール行くわよー!」と誘っても誰も来ない(笑)。まあでも学生時代は遊び倒しましたね。結局1年留年して、5年間通いました。その間インドに行って遊んでたり(笑)。

——でも卒業したらフォトグラファーにはなろうと思っていたんですよね?

いえ、CAになろうと思ってました。でも体力測定で血圧が低すぎて入れなかった(笑)。

——でも確かに村尾さん、CAっぽい。JALにいそう(笑)。

そうですかね。それでCAは諦めて義理の兄がブツ撮りのカメラマンだったので彼にどうしたらいいか相談したんです。その時私はある撮影スタジオのアシスタントになろうと思っていたんですが、その兄に話したら「女性カメラマンの秋田好恵さんのところに行きなさい」と言われ、言われるがまま好恵さんのスタジオで働き出しました。彼女は女性ヌード専門のフォトグラファーでもあり、どちらかというとアート系でした。でもいい人すぎて「仕事しなくてもいい」と言われ(笑)、あまり勉強にはならなかったんですが、今でも私の写真界のお母さん的存在です。その好恵さんからある時「先輩の写真家ばかりを撮ってみなさい」と勧められました。彼女曰く、「若いからやれる。あなたならできる。恐れがないんだから」と。

25歳の時の「写真家の肖像」という写真展。メディアに大きく取り上げてもらえました

——いい言葉。

「その大先生たちのことも若いからこそ撮れる。彼らと対等だと撮れない」と。それで様々なつてをたどって大先生たちを撮りに行ったんです。23歳から25歳までその活動をして写真を撮りためました。そして「写真家の肖像」という写真展で発表したんです。新聞等のメディアに大きく取り上げてもらえました。25歳の時でしたね。

——(その写真を見て)素晴らしい写真ばかりですね。どれも深く、駆け出しだからこそ出てくるエネルギーのようなものが現れていますね。

ありがとうございます。話題にもなったのでそれからすぐに仕事が入ってくるようになりました。雑誌のポートレートやインタビューの撮影等、様々な依頼が来ました。そこで好恵さんのスタジオをやめてフリーのカメラマンになりました。

——でもまだ若いですよね?

当然電話の出方も分からなければ仕事の進め方も分からない。やりながら覚える感じです。そのまま28歳まで突っ走ってみていきなり休憩しました。かねてから行きたかったニューヨークに行ったんです。知り合いのところからワーキングビザも降りて3年間ニューヨークに滞在しました。撮影や仕事もしましたがなによりバブル後の生きたニューヨークの中で暮らせたことで、私は少し成長できたかなと思えたんです。卒業後すぐにスタジオに入り、写真展も開きフリーにもなった。でも若さゆえの大事な経験ができていなかったと思っていたんですよね。それがニューヨークでの生活で少しですが手にできたと思えました。

——いい話です。ニューヨークという街のなにも言ってくれないけど「感じろ」と言ってくれているようなあの感じが僕もたまらなく好きです。帰国後は?

最初はブラブラしていましたね。写真の活動も一回休止してしまったのですぐには戻れない。よし、作品でも撮るかと徐々に活動を開始しました。そこで女性の手ばかりを撮る作品作りを始めました。女性の手って触覚みたいで面白いなって思ってたんです。手ってキャラクターとリンクしてますしね。花の嫌いな人が花を持ってもいい写真は撮れないんです。そしてこの写真を集めてパリで展覧会をしようと決めました。パリは写真の発祥の地でもあり憧れの街でもありますしね。自分でまずは行ってそこで生活もして、ギャラリーも探して展示ができるところまで行きました。

——アクティブですね。現地の人の反応はどうでしたか?

雑誌でも取り上げてもらえ、反応もよかったです。特に色に対する反応がまた日本人とは違い、見る人の深さのようなものがあることに気づきました。それも新しい発見でしたね。そこからまた帰国して写真家として一から始めます。今の自分に繋がっているエピソードとしてはある知り合いから宝塚のトップ女優であった大浦みずきさんを紹介していただいたんです。そこで彼女にスタジオに来てもらい撮影し、「女優とタンゴ展」という展示会を開きました。ここから私は宝塚のOGの方々の公演のポスターを撮ったり宝塚女優さんの本を作ったりと、宝塚の仕事が増えました。そこからですね、舞台関係の撮影の仕事が一気に増えたのは。そして最近では「かりそめの一夜」というタイトルで玄光社から写真集も出版しました。月刊誌の「フォトテクニックデジタル」のページを私が担当して、「ビジュアル系アーティストを撮る」という企画で自分の周りにいるアーティストたちの「今」をおさえておくというものです。その人たちをデコレーションし、艶やかに、華やかに撮影します。言い換えればアーティストたちの「華やかな部分」を撮りたいというもの。その企画のなかでLAVAさんも撮影したんですよね。

最近は世界中のパワースポットを巡りながら「ヒーリングフォトアート」に取り組んでいます

——いやあ、照れる(笑)。あんなメイクしたの生まれて初めてです。でもとっても楽しい撮影でしたね。村尾さんのクリエイティブにも触れられたし。それで村尾さんは最近「ヒーリングフォトグラファー」としても活動していると聞きましたが、その話も教えてください。

世界各国のパワースポットと呼ばれているところを巡り、その場所のエネルギーを感じながら撮影し、その写真をさらにコラージュして作品にします。そもそも2年前にスピリチュアリストの江原啓之さんとヨーロッパを中心としたパワースポット巡りに行ったんです。最初はイタリア、次にフランス、ポルトガルと周りました。そこで撮影した写真を後に江原さんが本に使ってくれたりポストカードにもしてくれたんです。でも家にはまだまだ撮った写真がたくさんあったので、コラージュして部屋に飾っていたんです。とても個人的なところから始まったんですがそれがきっかけです。でも今ではその活動を中心に考えて写真をどんどん撮りに行こうと思っているんです。一度「ヒーリングフォトアート」としてデパートで展示会をしましたが今後は本で連載をしたり、さらに展示会も増やしていきたいですね。「ヒーリングフォト」を通して、癒しの効果が世界中の人々に伝わっていければと思っています。

——とても楽しみにしています。ではパソコンの話をしましょう。現在お使いのパソコンとソフトを教えてください。

パソコンがデスクトップ型のiMacでソフトはフォトショップが中心です。基本パソコンで仕事をすることは好きです。作業をやりだすと止まらなくなるタイプ。時間を完全に忘れます。

——現在村尾さんがお使いのバッファローのポータブルハードディスク、HD-PZN1.0U3-Rについてお聞かせください。

私にとってハードディスクは100%データの保存用です。パソコン内にもストックしますし、ハードディスクには2台に保存しDVDにも焼きます。そう、心配性です(笑)。なので徹底的にストックしていきます。DVDも何年持つかというのが実証されてませんしとっても不安。なのでとにかくデータの保存だけはしっかりやります。昔はフィルムという実態があったので心配にはなりませんでしたが、今はある意味データという実態のなく消える可能性もあるものを相手にクリエイトしているので、データの保存はプロのフォトグラファーとしてもマストですよね。その上で言いますがバッファローのハードディスクは以前から信頼しています。現在使っているバッファローのポータブルハードディスク、HD-PZN1.0U3-R、まずはこの耐久性、耐衝撃機能の搭載。心配性の私のためにあるようなこの頑丈さ。私は仕事上ロケに頻繁に行きます。行った先でデータが壊れる、無くなるなんていうのは命取り。ありえません。最近ではこのハードディスクに必ずデータを入れて移動していますが、今ではノートパソコンとこのポータブルハードディスクのセットはロケでの撮影の基本となってます。ロケだからホテルなんかは次々と変わります。なので荷物も管理もそこまで徹底的にはできません。そんな時にこのハードディスクのように防雨、防塵、耐衝撃だと本当に助かります。これをカバンに入れてビューンと海外ロケにも行けます。あとはこのビジュアル!この赤もいい色ですしマットな手触りも気に入っています。USBケーブルの収まり方もお洒落ですよね。さりげなく高級な感じもいいです。一般の方にももちろんお勧めですが、全てを含めてプロ向きのポータブルハードディスクとも言えると思います。

——ありがとうございます。スーパープロフェッショナルなフォトグラファーの村尾さんに言われて嬉しいですね。作品もどんどんハードディスクにストックしていってさらなるパワーあるヒーリングフォトを楽しみに待っています。では最後に村尾さんのようなフォトグラファーを目指す人たちにメッセージをお願いします。

人生に近道はないので色んな経験をたくさん積んで肥やしにしてください。3年でやろうとしても無理です。やり続け、作品も作り続ければ必ずなれますよ。

——今日はどうもありがとうございました。

Interview Photos

ここからは村尾さんの作品です。彼女自身に説明していただきまます。

「インタビューでお話しした「写真家の肖像」より。写真家の杵島隆さん。1920年カリフォルニア生まれ、鳥取米子で育ち、植田正治の弟子。数々の受賞後、ライトパブリシティを経て、広告写真家として活躍しました。1991年勲四等瑞宝章を授与されます。2011年90歳没。」

「石元泰博さん。1921年サンフランシスコ生まれ、高知県で育ち18歳で渡米。第二次大戦中、コロラド州南東部の強制収容所に収容されますが、その後ノースウエスト大学建築科からシカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学びます。在学中にモホリ・ナギ賞2回受賞。文化功労者。2012年90歳没。」

「こちらもインタビューでお話ししたパリで展覧会をした作品「HANDS」より。」

「ポートレートの仕事で転機となった展覧会「大浦みずき 女優とタンゴ」展 より。」

「「PICTURES~かりそめの一夜」よりLAVA(DJ&サウンドプロデューサー)さんです。」

「ヒーリングフォトより「モン・サン・ミッシェルの光」です。聖ミカエルの山の意で、聖ミカエルのレイラインに位置し、冬から春新しい生命が地上に蘇る生命エネルギーの道といわれています。」

村尾さんご使用のバッファローのポータブルハードディスク、HD-PZN1.0U3-R。耐衝撃機能を搭載しているのでロケにもガンガン持っていけると大絶賛。ノートパソコンとこのハードディスクが撮影での永遠のセットだとおっしゃってくれました。この大人っぽい赤も村尾さんにはお似合いですよね、LEICAのデジタルカメラともジャストフィット!

パソコンで作業中の村尾さん。画面いっぱいに広がる「ヒーリングフォト」を見せてくれました。力と美しさが共存している、まさにパワーフォトでしたね。赤のポータブルハードディスクもテーブルの上で目立っています。

村尾さんとは彼女が「フォトテクニックデジタル」で手がけていた「かりそめの一夜」の撮影でお会いしました。インタビュー中で手のことを触覚と言っていましたが、僕が思うに彼女自身がまさに触覚のような人。独自のアンテナを通して撮影していくタイプのフォトグラファーですね。感覚が鋭いです。そしてその美しい外見だけでなく、心もとても美しい女性です。人気があるのもうなずけますね。「ヒーリングフォトグラファー」として新たな一歩を踏み出した村尾さん、パワフルで美しい写真を待ってますよ!

Creator's Favorite Foods

村尾 昌美の好きな料理“この一品!”「CIBO SANOのランチセット」

村尾さん曰く、「1年間に近所にできたお店”CIBO SANO"。契約農家さんからの美味しい有機野菜を仕入れている絶品イタリアンです。昼も夜も本当にオススメ。ちなみにCIBO SANOは「健康的な食べ物」という意味。食べれば食べるほど美しくなっていく気にさせてくれます。」

今回登場した商品

ICカードロック解除対応MILスペック 耐衝撃ボディー防雨防塵ポータブルHDD

米軍納入品の選定に用いられる米国MIL規格「MIL-STD-810G 516.6 Procedure IV」に準拠※1。堅牢なケースと内部の衝撃吸収シリコンゴムの効果により高い耐衝撃性を実現しています。さらに、「IPX3」相当の防雨性能と、ホコリや微細な砂粒などの侵入から守る「IP5X」相当の防塵性能を実現。また、収納型フラットケーブル付属で持ち運びの際もかさばりません。そして「自動暗号化モード※2」搭載で、保存されるデータを自動的に暗号化。万が一の盗難や紛失時にも大切なデータの流出を防ぎます。また、ロック解除キーをかざすだけでセキュリティー解除が可能になる「ICカードロック解除」機能(特許出願済)に対応。同梱の非接触型ICカードやお手持ちの交通系ICカード、「おサイフケータイ®」対応スマートフォンをロック解除キーとして登録できます。

※1. 1.2mの高さから剛体にべニヤ板を敷いた上へ26回落下させます。全ての角と面、辺から落ちるよう角度を変更しながら実施します。テストに用いる5つのサンプルのうち1つでも落下後に動作が確認できればテストに合格となります。
※2. Windows RT 8.1/RTは非対応。